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東ゆみこ(ひがし ゆみこ)です。 

現在、国際ファッション専門職大学・国際ファッション学部ファッションビジネス学科の教授、デジタルアーカイブ学会の理事を務めています.

平成20(2008)年 

博士学位論文(日本女子大学)取得

『古代日本の神話論理の研究ー「空間所有」と「聖婚」をめぐる諸問題』

学歴

昭和62(1987)年

 千葉県立安房高校 卒業

平成4(1992)年 

 お茶の水女子大学 文教育学部 地理学科 卒業

平成7(1995)年 

 学習院大学 大学院(博士前期課程)

 日本語日本文学専攻 修了

平成10(1998)年

 お茶の水女子大学 大学院(博士課程)

 比較文化学専攻 単位取得満期退学

 

職歴

平成7(1995)年9月ー平成16(2004)年3月

 習志野市教育委員会市史編纂室 民俗調査員

​平成8(1996)年4月ー平成10(1997)年3月

 お茶の水女子大学大学院人間文化研究科 

 ティーチング・アシスタント

平成10(1998)年4月-平成14(2002)年3月

 日本女子大学 現代社会学科 専任助手

平成19(2007)年4月-平成24(2012)年3月

 東京大学 COE「死生学の展開と組織化 

 特任研究員

平成24(2012)年4月-平成28(2016)年3月

 東京大学 大学院人文社会系研究科 特任助教

平成28(2016)年4月-平成31年3月

 東京大学 大学院情報学環 特任講師

自己紹介

 

◆昭和43年(1968) 南房総で生まれました。海岸の近くで潮風に吹かれながら育ったので、夏になると、海がとても恋しくなります。

 幼稚園から小学校低学年にかけて、夏休みになると決まって伯母が経営する旅館を手伝っていました。そのためか、そうめんの汁や茶碗蒸し、サザエの壺焼きの味に、ちとうるさい。

 ところで、私の専門は神話学・文化批評なのですが、神話に興味をもつきっかけとなった出来事がこの頃にありました。「手のひらの歴史」というエッセイに書いています。

 

◆昭和56年(1981) 鴨川中学校入学。

 中学時代は日本語と英語の弁論に打ち込みました。

特に、高松宮杯全日本中学校英語弁論大会 <の第34回全国大会に、県代表で出場したことは、これまでの人生の中で、励みになっています。そして正しい方法で努力すれば必ず目標は達成できるという、信念を強固なものにしてくれました。しかし、全国大会出場のみを目指していたため、あえなく予選で敗退。最初から全国優勝を目指すべきだったと、今では思っています。 

◆昭和59年(1984) 千葉県立安房高校に入学。

 この時期、人間関係の悩みなどがもとで体調を崩し入院。すぐに立ちなおれずに、結局浪人することに。

 

◆昭和63年(1988) 一年間の駿台予備学校生活をへて、お茶の水女子大学文教育学部地理学科に入学。

 大学では藤澤昌子先生指導のかな書道部に所属。自分の大学での授業にあまり出席せずに、アテネ・フランセへ通ってみたり、他大学の講義を(もぐりや正規で)受講したりしていました。

 その中で、特に印象深かったのは、法政大学の思想史家・市村弘正先生の「社会思潮」の講義とゼミ。国文学者・松田修先生の近世文学のゼミ。それから、学習院大学の吉田敦彦先生の神話学の講義でした。

 市村先生のゼミでは、ジョージ-スタイナーの『青髭の城にて』と、ニーチェの『悲劇の誕生』を講読。これが後の私の研究に決定的な影響を与えました。

 もう亡くなられた松田先生は当時、車椅子でゼミ室にいらっしゃり、『好色一代男』に対する発表へ鋭いコメントを浴びせておられました。とにかく、その容貌にも、くり出される発言にもド迫力があり、ただただへーっと感服して眺めていました。

◆平成4年(1992) 学習院大学大学院日本語日本文学専攻に入学。

 大学院の博士前期課程では、神話学と日本文学を研究する事に決め、吉田敦彦先生に師事。入学してすぐに、吉田先生とご一緒に翻訳をさせていただくという幸運に恵まれました。が、きつい経験でもありました。

 木曜日15:00~17:00の2時間、私があらかじめ書いていった下訳を先生がチェックし、きれいな日本語に直すという作業を繰り返しました。これが毎週、毎週、延々と続けられました。

 当時の私は教職の免許をとりなさいという指導を受けており、ほとんど毎日、朝から夕方まで、学部の講義も含めて、めいっぱい授業が入っておりました。

 けれども、なんとか頑張り続け、この時の苦労は、後にシャーウッドスミス著『海からの花嫁ーギリシア神話研究の手引きー』(法政大学出版局) というタイトルで出版されました。

 

◆平成7年(1995) お茶の水女子大学大学院の博士課程に戻る。

 修士課程を3年間かけて卒業したのですが、いろいろな事情でお茶大に出戻り。心機一転、文化記号論と比較文化論の研究を進めることにしました。

 その一方で、ウィトゲンシュタイン研究の第一人者、成城大学の黒崎宏先生(現名誉教授)の講義を二年間にわたって受講させていただき、文化を論ずる際の、哲学的な諸問題の研究もおこないました。

 この時期には、駿台リンデンスクール(現・駿台フロンティアJr.)、河合塾美術研究所での塾講師にくわえ、河合塾のフェローなどもやっておりました。

 

◆平成10年(1998) 日本女子大学現代社会学科に助手として就職。

 都会派のポン女、おしゃれな目白とはしゃいでいたところ、なんと勤務先は神奈川県の西生田。しかも、毎日、急な坂道を歩かなければならず、足が丈夫になりました。

 助手の間に手がけた仕事のひとつが『クソマルの神話学』(青土社) の元になった論文「差異空間の神話学」です。

 

◆平成14年(2002) 任期切れで助手を退職。 

 苦節5年間の非常勤生活がはじまりました。しかもあと1年、助手を務めさえすれば返還の時に割引になった日本育英会の奨学金を全学返済しなければならなくなり、経済的にも苦しい状況。

 しかし、多くの人に助けていただき、非常勤講師や大学関係の事務などを掛け持ちし、糊口を凌ぎました。ほんとうに感謝の気持ちでいっぱいです。

 ラッキーだったのは、苦しいときほど打って出るしかない、と宣伝のために開設したブログがきっかけで監修の依頼が舞い込み、累計53万部のベストセラーになりました。

 監修だったので、億万長者にはなれなかったものの、増刷のたびに入金される数万円のおかげで生き延びることができました。

 この浪人生活中に『クソマルの神話学』(青土社) を上梓しました。驚いたことに、この本を山口昌男先生が読んで下さり、一面識もない私を自宅に呼んで、奥様の手料理でもてなしてくださったのです。

 私は、山口先生から研究を理解していただいたことで、とてつもなく大きな勇気と自信を持つことができました。

 それから、山口先生は、西郷先生のご自宅にも連れて行ってくださり、私は、当時88歳の西郷先生からも評価と励ましをいただきました。またこの頃に、『猫はなぜ絞首台に登ったか』(光文社)も出版しました。

 今、振り返っても、原稿料までもがすべて生活費に消えていくという、たいへん厳しい一時期でした。

 

◆平成19年(2007) 東京大学COE「死生学の展開と組織化」の特任研究員となる。

 ようやく明日の生計の心配がなくなりました。そこで研究に邁進。学術博士の学位を「古代日本の神話論理の研究」という論文で取得しました。

 くわえて、たまたま都留文科大学で仏教童話に関係する講義を受け持つことになったので、この機会を活用して『大人のための仏教童話』(光文社)を執筆しました。

 さらに、岩波書店の『思想』に論文「壊れた世界と秘匿された “自然”」を書かせていただきました。

 この論文は、ちょうど山口昌男先生が倒れられる直前に印刷されたのですが、掲載直後に先生から電話でお褒めのことばをいただいたのが、よい思い出になっています。

 その後、平成24年(2012)  東京大学大学院 次世代人文学開発センターの特任助教となり、平成28年(2016) 東京大学大学院情報学環の特任講師となって現在に至っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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